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【中央時評】野蛮の時代は今でも続く=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.10 16:46
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学生時代、胸が痛かった記憶がある。学校は、成績が振るわない学生の学習能力の底上げを図るといって勉強がよくできる学生とできない学生をペアにして座らせた。勉強できない学生が友達から学べば成績が上がるだろうと期待したのだ。だが、現実は反対に動いた。ある先生は私のパートナーに質問をしたが、この学生がちゃんと答えられないと「席がもったいない」と言って小突いた。勉強を頑張れという意味で与えた席がさらに多くのむちで打たれる席になった。気のいい友は小突かれても平気だというように笑顔を作ってみせたが、私は申し訳なさと無力感でしばらく苦しい思いをした。

当時は全校生の成績を1位から最下位まで廊下に張り出す高等学校が多かった。企業の生産ラインで働く労働者のように、学生は数字であり成績を生産する労働者だった。学校と家のどこででも、勉強がよくできれば尊敬を、できなければ過小評価を受けた。その時は後で経済的な余裕ができれば社会的な価値が多様化するだろうと考えていた。私たちの子ども世代にはこのような野蛮的競争がなくなるだろうという希望があった。そのように信じて、私たちだけ野蛮時代を生き延びれば良いだろうと思っていた。

 
英国で生活していた時だった。有名なグラマースクールの話を知ることになった。10歳の時に試験を受けて入学するこの学校はオックスブリッジに学生を最も多く送り込む最高の名門公立中高等学校だ。ところが優等賞授賞式がないという。代わりに科目別に勉強がよくできる学生一人ずつとその両親だけを招いて先生が励ますといった。不思議に思ってなぜそのようにするのかと尋ねた。返ってきた答えは優秀な学業成績は性格、芸術、運動、創作などが優れているように多くの素晴らしい資質の一つにすぎないのに、唯一それだけを強調する必要がないということだった。英国での教育は数字を作る工場ではなく、高貴な人と大切な共同体の価値を入れる器だった。

英国で故キム・グンテ議員と会う機会があった。大統領選挙戦直後に訪問した時だった。英国で最も感銘深いことは何かというキム議員の真剣な問いに「人」だと答えた。例に挙げた理由はこうだ。「うちの子が通っている小学校の児童がたった今英国に来たばかりで英語もうまく話せない韓国の子どもを全校会長に選んだ。その韓国の子どもがサッカーをしているところを見て、リーダーシップが十分にあるだけでなく、会長になれば英語をもっと早く身につけることができるだろうと小学生が考えたということだ」。キム議員は衝撃を受けたように「いや、人間は本来利己的なものだが、どうしたらそれが可能なのか」「さらに、どうしたら小学生がそのように考えることができるというのか」と聞いた。「それが教育を成績順でしか測れない国と価値で測る国の違いで国の品格です」と答えた。その答えの重さのためか、彼のかしげた首がさらに傾いたようだった。


【中央時評】野蛮の時代は今でも続く=韓国(2)

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