【コラム】韓服は文化戦争中?
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.03.25 14:04
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景福宮(キョンボックン)の近くにある韓服レンタル店。韓服は着る服から見る服へ、見る服から遊ぶ服へと進化してきた。若者たちにとっては韓服は遊ぶ服にすぎない。[写真 チェ・ボム]
昨年末、韓国と中国の間に時ならぬ韓服援助論争が起こった。中国の一部メディアで韓服は中国のものであり、そのため「韓服」ではなく「漢服」と主張したのが発端となった。これに対て韓国ネットユーザーが「韓服東北工程だ」としながら反論した。端午、アリラン、キムチなどに続き韓中間元祖論争にもう一つの目録が追加されたといえる。問題は文化産業領域に広がった論争がすぐに両国の民族主義対決に飛び火してしまうところにある。
韓国と中国はともに強い民族主義国家なので、当然といえば当然のことだが、しかしこれからは韓国文化産業の海外進出過程で出てくるほかない民族主義の問題を再考してみるべきではないかと思う。そうでない場合、韓服のような元祖論争の目録は今後も増え続けるほかはないだろう。何よりも韓国と中国のように民族主義が強対強でぶつかる場合、韓流と限韓令の拮抗からも分かるように、実利的な次元だけでなく両国関係にも否定的な影響を及ぼすことになる。文化産業と民族主義を分離して接近することはできないのだろうか。韓服元祖論争を契機に考えるべき問題として避けられない。
私は韓服が「着る服」から「見る服」へ、「見る服」から「遊ぶ服」へ変化してきたと考える。そのため私たちにとって韓服は日常生活からは遠ざかった反面、史劇やドラマ等を通して見る服となり、そういったメディアの経験が再び影響を及ぼして故宮や韓屋村(ハノクマウル)で着るような遊ぶ服に変化してきた。これは韓服が伝統衣装から文化コンテンツへと機能が転換したことを意味する。したがって、最近若者の間でファッショナブルな生活韓服が流行しているのも、伝統的な意味での衣装の流れというよりは文化コンテンツの体験的消費、すなわちコスプレの一種と見なければならないということだ。