<Mr.ミリタリー>米国のアフガン撤収に見る韓国の安保(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.09.09 13:51
#状況1=2010年12月20日午後1時30分。ソウル三角地(サムガクチ)国防部内にある合同参謀本部のバンカーでは沈黙が流れた。海兵隊が延坪島(ヨンピョンド)西南側の海域で射撃訓練を始めるところだった。射撃する海域は西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)南側だが、北朝鮮が注視しているところだった。北朝鮮は3日前に韓国側に送った通知文で「延坪島砲射撃を強行する場合、共和国(北朝鮮)領海を守るために2次、3次の予想できない自衛的打撃を加えることになるだろう」と脅迫した。この日の海兵隊の射撃訓練は、1カ月前に起きた11月23日の北朝鮮の延坪島砲撃挑発への対応レベルだった。当時、北朝鮮軍の砲撃で海兵隊将兵2人と民間人2人が死亡し、延坪島市内は燃えた。
こうした雰囲気の中で20日の海兵隊射撃訓練は苦心の末に計画された。当時、李明博(イ・ミョンバク)大統領と金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官の負担も少なくなかった。海兵隊が射撃訓練をすれば北朝鮮軍がまた挑発してくる可能性が高いからだ。それで射撃訓練計画には北朝鮮がまた挑発する場合は自衛的レベルで対応する内容までも含めた。北朝鮮が挑発して韓国側の被害が大きくなったり事態が拡大する場合、大統領や国防部長官ともに政治的な命運をかける状況だった。もちろん国防部には必ず勝つという計算があった。