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【コラム】日帝強占期の小学教科書…「朝鮮の本当の敵は明国」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.06.24 15:25
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◆朝鮮の軍事支出は20%

それにとどまらない。戦争の原因を中で探す。ここで人間の品位も尊厳もいつのまにか消える。戦争が人間の品位と尊厳をつぶすのではなく、「党争」に関する邪説が人間の品位と尊厳をつぶすことになる。党争をして滅びたという論理がそれだ。あまりにも簡単にこの論理はやられても仕方がないという冷笑につながる。こうした置換による事態の逆転は、侵略された社会の党争を強調して戦争の侵略性を伏せる帝国主義フレームとしてよく活用される。

しかし日本の侵略で始まった壬辰倭乱は戦場になった朝鮮を疲弊させたが、朝鮮の人々の底力を確認した戦争でもあった。明国とは違い、朝鮮は普段は農作業をし、時がくれば軍士に抽出する兵農一致を施行した。これは北方が安定した後に常備軍を置かない効率的な軍事費節約策だった。昨年3月末のコラム「東アジア、帝国と平和の間」にみられるように、清国の約50%、江戸幕府の約42%に比べ、朝鮮の軍事費支出比率は約20%程度と非常に低い水準だった。壬辰倭乱の序盤に朝鮮軍が劣勢になった理由でもあるだろう。

壬辰倭乱で徐々に朝鮮の人々は対応方向を見つけていった。義州(ウィジュ)に避難した朝廷は伝統的な外交関係に基づいて明の支援を引き出し、水軍をはじめ徐々に官軍も戦闘力を回復していった。宣祖の即位後、社会的な指導力を拡大していた士林と、生まれ育った場所で農作業をして暮らしていた国民は力を合わせて侵略軍と対抗し、その被害を減らすのに率先した。

日帝強占期に丙子胡乱はどう教えたのだろうか。同じ『尋常小学国史補充教材』の「教授要旨」にはこのようにある。「本科では清国の興起とともに、朝鮮がそれに服属するまでの事情を叙述し、従来の朝鮮が地理上いつも北方の抑圧を受けたということを知らせる」。

教材の「講義要領」や「備考」で事実を中心に参考資料を提示したのに対し、全体の「教授要旨」では「清国に対する朝鮮の服属」「地理的な北方抑圧」を強調することで、朝鮮の歴史に対する結果論的接近と地理決定論的な歴史解釈を誘導した。結果論は現実を合理化するだけでなく、その現実を受け入れる過程で歪んだ自我意識を内面化する。例えば、朝鮮は弱くてやられた、強い国に付いてこそ生きるなどの非主体的感性がそれだ。また、決定論は事件が発生した複数の要因に対する探求を阻む。その結果、自然に決定論が前提にした叙事を中心に事実に対する偏狭な誤解や誤った歪曲が続く。

◆胡乱の原因は朝鮮内政の混乱

この時代、女真族は成長していた。遊牧民族の傾向がそうであるように、離れて暮らしながらも時には旋風を起こすように力を集中させて勢力を形成していった。女真族は建州衛のヌルハチ(努爾哈赤、1559-1626)を中心に勢力を強めた。

1583年(宣祖16)1月に尼湯介の乱が初めて勃発するが、この時点の意味が大きい。1467年の応仁の乱で始まった日本の戦国時代は豊臣秀吉の武力統一で終わるが、その年が1583年だった。豊臣はそれを記念して3月に大阪城を築き始めた。

この時、朝鮮で兵曹判書として軍政改革を担当した人物が李珥(1536-1584)だった。女真の藩胡の一人だった尼湯介は約1万騎の軍を率いて侵入した。2回にわたる大規模な侵入も尼湯介は鎮圧された。この時に参戦した将帥は申リプ(シン・リプ)、鄭彦信(チョン・オンシン)、李舜臣(イ・スンシン)ら壬辰倭乱で朝鮮軍を率いた人物だった。

東アジア情勢からみて大きな問題は、壬辰倭乱の被害を復旧して国際的な勢力均衡を成し遂げる機会を朝鮮が逃したという点だ。光海君は15年間、宮廷の工事に没頭し、民生と財政を破綻させた。したがって胡乱の原因は後金の成長にもあるが、何よりも朝鮮の内政の混乱だった。侵略戦争は正当化されないが、「この民を扶養する役割を引き受けた者が責任を免れない」という呉希文の言葉は胡乱にも適用される。

オ・ハンニョン/全州大史学科(大学院)教授 【コラム】日帝強占期の小学教科書…「朝鮮の本当の敵は明国」(1)

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    2022.06.24 15:25
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