주요 기사 바로가기

【コラム】15代にわたり日本で花咲く沈寿官陶芸、挑戦精神を醸す(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2023.03.27 16:39
0
「薩摩焼十五代沈壽官展」に展示された陶磁器はとても美しく繊細な作品で、私のような一般人が購入するのは難しい高い値段がついていた。第15代沈寿官は「ここに展示された作品以前にはるかに多くの失敗作があった」と説明した。窯の温度を上げる時にこれ以上上げれば陶磁器が割れるかも知れない地点があるという。割れにくいデザインで作ったり温度をこれ以上上げない選択もあるが、それでは新たな作品は出てこないという。そのため数多くの挑戦過程で割れた作品ははるかに多いが、その失敗があったために新しい作品が出てきたと話しながら、彼は「いまの日本はすべての面でローリスク・ローリターン、すなわち挑戦をしないことが問題」と指摘した。ローリスク・ローリターンは危険性が低いだけに収益性も低いという投資関連用語だが日本の現況をうまく指摘した言葉と感じられた。

日本は経済低迷が長引き、高齢化の影響も大きく、「ひとまずリスクは避けよう」という消極的な雰囲気が蔓延している。第15代沈寿官がした話を日本の外資系企業に勤める弁護士の友人にしたところ大きく共感した。彼は自分が通う外資系企業では法的にどのようなリスクがあるのか説明すればどのようにそのリスクを抱えてプロジェクトを実現するのか考え直すが、日本企業ならば法的リスクを避けるために最初からプロジェクトをあきらめるだろうと話した。

 
◇盧武鉉元大統領、首脳会談後に沈寿官窯訪問

朝鮮から連れてこられた沈当吉が日本で陶磁器を作ることになったのは苦痛なことだったが、第15代まで代々400年以上陶芸技術を磨いてきた沈寿官家の話を聞き、ひとつのものを長く深く掘り下げる日本的な性向と韓国の挑戦精神をともに感じることができ興味深かった。

韓国に戻ってきて2月には南原(ナムウォン)にも行ってみた。沈寿官陶芸展示館に行くためだった。なぜ南原かというと、沈当吉と陶工たちが丁酉再乱の時に南原城が陥落して拉致されたためだ。展示は何代にもわたる沈寿官家の作品だけでなく薩摩焼の歴史に対しても詳しく説明されていた。その説明によると、薩摩焼が世界的に知られ主要輸出品になった契機は1867年のパリ万国博覧会だったという。江戸幕府が倒れ明治時代が開かれる時期だ。その中心には薩摩藩と長州藩がいた。

展示の中で盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領と小泉純一郎元首相、そして第15代沈寿官が一緒に撮った写真が目に入ってきた。おそらく2004年に鹿児島で開かれた韓日首脳会談の時に撮ったもののようだ。盧武鉉元大統領は沈寿官窯も訪問した。それだけ沈寿官という存在は韓日友好の象徴になったのだ。

いま日本では沈寿官を中心に韓半島(朝鮮半島)から伝えられ日本で発展してきた陶芸文化に関するドキュメンタリー映画を制作している。この日の第15代沈寿官のトークも撮影した。韓日両国で公開する予定で、韓国でも撮影を進めたが、韓国の有名陶芸家シン・ギョンギュン氏にインタビューしたという。

韓国映画配給と韓日合作映画制作などで長く韓日映画界の架け橋の役割をしてきた在日コリアンの李鳳宇(イ・ボンウ)プロデューサーが制作を担当している。彼は「この数年間韓日文化交流は政治的な理由で難しくなったが、もともと近く互いに混ざり合っていた文化風土を再び確認する契機を作りたい」と制作意図を明らかにした。

最近韓日関係改善に向けたさまざまな動きがある。過去の問題を特に日本は直視して記憶しなければならないと考えるが、個人的には過去が現在と未来にこれ以上悪影響を及ぼさないよう互いに賢く近付けばと思う。沈寿官に関するドキュメンタリーは壬辰倭乱に対してよく知らない日本の人たちにその歴史を知らせる役割もすると同時に、両国の文化的なきずなを感じられる良い事例にならないだろうかと思う。

成川彩/元朝日新聞記者

【コラム】15代にわたり日本で花咲く沈寿官陶芸、挑戦精神を醸す(1)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP