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豆満江2回渡った脱北少年、韓国に来て18年で正教授に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.10.05 06:40
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「統一・北朝鮮と関連した研究は首都圏に集中しています。地域で統一と北朝鮮研究を活性化するのに寄与したいです」。

釜山外国語大学国際学部のキム・ソンリョル教授が4日、中央日報との通話でした話だ。釜山外大によると、キム教授は公募を経て先月同大学に正教授として任用された。脱北者が韓国の大学で正教授になったのは初めてという。彼は咸鏡北道清津(ハムギョンブクド・チョンジン)出身で1985年生まれだ。キム教授は南北関係論と国際政治理論の講義を務める。

◇飢えた12歳の少年、凍った豆満江渡った

 
キム教授に北朝鮮の生活で記憶に残っているのは飢えだ。1990年代に入り清津では食糧がまともに配給されなくなった。彼の母親は働いていた食品売場で売る商品がなくなると唯一の財産といえるテレビを売った。商売の元手を用意するためだった。

この資金で母親は北朝鮮内の華僑などが持ち込んだ中国産の小麦粉を仕入れてチャンマダン(闇市場)で売る仕事をした。事実上家長だった母親は小麦粉商売でキム教授とキム教授の姉を育てた。だが食事をまともに準備し食べるのは難しかった。また、華僑が小麦粉を直接売り始めてこうした仲介商も難しくなった。キム教授の母親は1997年3月、2人の子どもを連れて豆満江(トゥマンガン)を渡ることにした。当時12歳だったキム教授は「母親が私と姉を抱きかかえ氷を割りながら必死に川を渡った時を思い出す」と話した。

◇北への送還と再脱北、考えてもいなかった韓国行き

中国から脱出したキム教授と彼の姉は工場で働いた。だが3年後にキム教授の家族は中国公安に摘発され、北朝鮮の新義州(シンウィジュ)へ送還された。だれかが通報したため脱北者であることが発覚した。彼らは北朝鮮の収容所で3カ月ほど強制労働させられた。その後2000年6月15日の南北首脳会談を契機に「飢えに勝てず豆満江を渡った者は許しなさい」という北朝鮮当局の指示により釈放された。

キム教授は「どうにか解放されたが、先行きははっきりしなかった」と回想した。家族が住んでいた家にはすでに他の人が暮らしており、世話になれる親戚もいなかった。すでに「北

朝鮮の外側」を経験したキム教授はもう一度豆満江を渡ることにした。2000年8月に北朝鮮を脱出するのに成功した彼は、最初の脱北時に働いた工場で働いた。幸い2カ月ほど過ぎて母親と姉も北朝鮮を脱出して中国に来た。

キム教授が韓国に来たのは2005年だ。北京の民宿で働いていた母親が偶然知り合ったブローカーを通じてだった。キム教授は「韓国に行き望む勉強をしたいという思いが切実だった」と話した。彼は初めての脱北の時に中国で少しの間学校に通う機会があったが、言葉の壁のため勉強もまともにできなかった。

◇米奨学金1号…バイデン大統領の出身大学に

韓国で本格的な勉強を始めたキム教授は1年余りで小中高検定試験にすべて合格し、2007年に韓東大学国際語文学部に入学した。卒業まで7年かかった。キム教授は「脱北と送還を経験しながら国際政治、外交問題に関心を持つことになった。米国の名門大学で勉強を続けたかった」と話した。

キム教授は延世(ヨンセ)大学大学院を経て米国政府奨学金であるフルブライトプログラム第1期脱北者奨学生になった。彼が身を置いたのは米ニューヨーク州シラキュース大学マックスウェル行政大学院。この大学はバイデン米大統領が卒業した政治学の名門大学として知られている。キム教授は2021年に「東アジアの国際政治変化が北朝鮮の対米政策に及ぼした要因」という論文で博士学位を取った。

◇「北朝鮮の変化導く学校立てたい」

彼は「学生たちとともに絶えず学び勉強する教授になる。統一されたら北朝鮮に大学を立て、学問を通じて北朝鮮の変化を導くのに一助となりたい」と話した。

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    豆満江2回渡った脱北少年、韓国に来て18年で正教授に

    2023.10.05 06:40
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    釜山外大で講義するキム・ソンリョル国際学部外交専攻教授。先月釜山外大に任用されたキム教授は脱北者教授第1号という。[写真 釜山外国語大学]
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