주요 기사 바로가기

【中央時評】北東アジア安保の主要変数に浮上した第7鉱区問題(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.12.29 11:21
0
韓国で国内政治論争が世論を圧倒する中、かつて大衆歌謡やSF映画で知られた第7鉱区(済州南側と九州西側の東シナ海大陸棚)イシューが韓日関係と北東アジア安全保障の「雷管」に浮上している。2028年に終了する韓日大陸棚共同開発協定(以下、協定)で、どちらか一方が2025年6月から協定終了を書面通知できる状況の中、協定発効以降、国際基準が日本に有利な方向に変わったからだ。第7鉱区の発端は、1969年に国連アジア極東経済開発委員会が出した「エメリー(K.O.Emery)リポート」が東シナ海の大陸棚に世界最大の石油資源が存在する可能性があると報告したことだった。

1969年は国際司法裁判所(ICJ)が西ドイツ・デンマーク・オランダ間の海洋境界紛争で従来の中間線原則でなく大陸棚自然延長説に基準を変えて判決した年だった。韓国政府は1970年、「海底鉱物資源開発法」を制定し、済州(チェジュ)南方200キロ水域を含む大陸棚鉱区7つを設定した。日本・中国・台湾も動いて17の鉱区が乱立した。その後、韓日交渉が進行した結果、1974年に韓日共同開発区域(JDZ)関連協定が締結された。JDZの90%が自国側に位置しながらも日本は当時の国際基準に従うことになった。

 
鉱区は領土の概念でなく海洋資源を探査・開発する主権的権利を行使できる区域をいう。協定は日本の特別法制定で1978年に発効し、2028年6月22日まで50年間、第7鉱区を共同開発することにした。その後、1987年までの8年間、鉱区探査権(開発権は別に30年)を受けた企業が7つの鉱区で試験掘削した結果、ガスの兆候が発見されたりしたが(1980、81年)、失敗もあった(1984-86年)。

その間、1982年に国連海洋法条約(UNCLOS)が締結され、画定基準がまた大陸棚自然延長説から中間線原則に変わった。このため沿岸から200カイリまで経済的主権を行使できる排他的経済水域(EEZ)が設定され、1994年以降、国境から400カイリ未満の水域でのEEZと大陸棚の境界画定に中間線距離原則が適用された(2018年東ティモール-オーストラリア大陸棚紛争事例)。

1986年に日本は商業性がないという理由で第7鉱区探査作業から撤収した。その後、両国は第7鉱区小区域再調整で1991年にBPが韓国側事業を引き受けることにしたが、BPは1次探査資料を根拠に1993年に探査権を放棄した。2000年以降、両国は協定履行共同声明を採択し、韓国石油公社と日本石油公団が運営契約を締結した。2002年に最も有力な2つの小区で3D弾性波探査を施行したが、有望構造5カ所を合算した結果、当時の技術では経済性不十分と評価された。日本はまた共同探査中断を宣言した。技術レベルが不十分で外国企業に租鉱権を付与した韓国とは違い、自国企業の申請を受けることにした日本は企業の参加がないという理由を挙げた。

2004年に米ウッドロー・ウィルソンセンターは東シナ海の石油埋蔵量がサウジアラビアの半分にのぼるという報告書を発表した。しかしエメリーリポートと同じく科学的に検証されたものではなかった。このように探査作業が難航し、情報も共有されない状況で、第7鉱区は両国の国民の関心から遠ざかった。結局、協定の終了が迫った時点でJDZ海底エネルギー資源の賦存と経済性の評価は未解決の課題として残った。

【中央時評】北東アジア安保の主要変数に浮上した第7鉱区問題(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP