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壬辰倭乱時に韓国から日本が持っていった「五色八重」と言っていたのに…蔚山椿の地位剥奪

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.04.24 15:13
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韓国南東部にある蔚山市(ウルサンシ)が市庁前広場に植えた樹齢41年の五色八重椿の名札(蔚山椿)を取り、案内板も除去した。1590年代にある倭将がその美しさに心を奪われて蔚山にあった椿を日本へ持ち帰り、その後400年ぶりに韓国に戻って市庁広場に植えられることになったという蔚山椿の起源説が明確な歴史的資料や根拠が探してもないという調査結果が出てきたためだ。

五色八重椿は白・赤・薄紅・真紅・ピンクなど五つの色の花が咲くので「五色」、花びらが八重になっているので「八重」と呼ばれている。

 
◇「蔚山椿の起源説に根拠ない」

蔚山市側は24日、「椿の由来が誤っていたという主張があり、蔚山歴史研究所に由来に関する検証を依頼して最近報告書を受け取ったが、該当の起源説に根拠がないという結論が出た」と明らかにした。これに伴い、蔚山市は18日、椿の前にあった「蔚山椿」という名札や案内板などを除去した。また、地方自治体や民間団体に「蔚山椿」という名前は使用しないように伝えた。

地方自治体も蔚山椿の抹消に乗り出した。蔚山中区は「蔚山椿」の区花地位を剥奪した。中区関係者は「7年前に桜から五色八重椿を区の象徴花に定めて使用していたが、今回の起源説考証の結果を見て区花を別の花にすることにした」と伝えた。これに伴い、区庁近辺の公園に植えられた椿の前につけられていた「蔚山椿」という名札を取った。

◇昨年から取り沙汰されていた真偽論争

蔚山椿の真偽論争は昨年上半期に提起された。地域植物学者などのメディアへの寄稿や文化解説士の情報提供、市民のうわさなどを通してだ。社団法人「韓国湿地環境保全連合」のチョン・ウギュ博士はあるメディアへの寄稿文で「(蔚山市が)椿に対して十分に考証しないで広報だけに気を遣っていたところ、デタラメの情報が拡大再生産されている」と主張した。チョン博士は「駐日大使館文化教育担当領事や元駐日教育官などの協力を受けて調査をしたが、蔚山市庁前の庭に植えられた椿と日本の五色八重山椿は、木の形態や葉形、花が咲く時期などがすべて異なり、同じ木と見ることはできなかった」と主張した。

ある文化解説士もほぼ同じ時期、蔚山の地元メディアに情報提供して「京都歴史資料館に『蔚山椿の説話の根拠や史料はあるか』と尋ねたが京都側が書面答弁書に「根拠になる史料や資料集などは公式発刊したことなく、確認することはできない」と明らかにしたと伝えた。当時公開された京都歴史資料館の答弁書には「古い記録物では椿の由来に対する史料がなく、20世紀以降の刊行物では言及されたものがあった」とも書かれてある。

◇加藤清正が発見したといったが…

これまで蔚山椿は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、倭将の加藤清正が蔚山鶴城で初めて発見したと伝えられた。この椿を日本に持ち帰って君主の豊臣秀吉に捧げ、秀吉は自身と縁のある京都の寺院「地蔵院」に椿を寄贈したと言われていた。1989年韓国芸術文化団体総連合会蔚山支部の関係者が地蔵院で椿を発見し、地域団体や仏教界などが返還運動を繰り広げた。最初は拒否していた日本側も結局返還に同意した。1992年5月1株が韓国に返還され、その木が蔚山市庁前の庭に植えられた。

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    壬辰倭乱時に韓国から日本が持っていった「五色八重」と言っていたのに…蔚山椿の地位剥奪

    2024.04.24 15:13
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    蔚山(ウルサン)市庁広場にある蔚山椿。現在は蔚山椿という名札を除去した状態だ。[中央フォト 写真 蔚山市]
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